ぼんやりさんとダックスの暮らしの手帖

Mダックス・ハヤテとの毎日や山登り

取り壊し

いつも歩く散歩コースの、いつも渡る川を渡った所にある鬱蒼とした角地(古い平屋と思われるが鬱蒼ぶりが半端なくて家の全貌はいつも見えない)の家が今朝、取り壊されてしまった。
その一角は部屋の窓から斜め右方向、真南の方角で道路を挟んで平屋の向かいには小さなおじさんが経営しているふすま屋(いつも窓もドアも開いている)があり夜は看板がライトで照らされて、人々は灯りを頼りに真っ暗な橋を渡り、鬱蒼角地とふすま屋に照らされた狭い道路を通りぬけ家路に着く。
民家と大きな公園、小学校があるこの一角はここからでないと駅へ抜けられない。一角を囲むように背後に大きなバイパスが通っているからだ。
ふすま屋さんのオレンジ色のライトは夜のさみしい時間、ポッと灯っていて心強いものだ。
しかし鬱蒼とした木々とともに平屋は無情にも解体されてしまった。こういうとき、重機に乗る解体屋さんのこわもてのおじさまたちは情け容赦ない。取り壊されスッキリした感じをベランダから見ているとあんなにもりもり生えていた木は生気を失って横たわり地面が見えてしまっている。不可触領域、として存在していた角地はあまりにもあっけない結末を迎えてしまった。あんなにも大きな存在感で人を寄せ付けない茂りっぷりだったのに。

木の手入れ、それを続ける苦労や手間は相当なものであろう。
家の前にある大きなおうちでは年に何度も植木屋さんを招き木の剪定や伐採を繰り返し体裁を保っている。落葉樹なら落ち葉も相当なものだ。風が吹くと落ち葉や虫が飛び隣家の排水溝を詰まらせたりして迷惑でもある。
木々を存在させておく事は都会では金の掛る事なのだ。だからほとんどの民家では【そのおうちのシンボル木】のようなものはなく、あっても植木や小さな鉢植えだけ。
その中で手をかけられている民家の木は特別なもののように思える。


いつも渡る橋は人道橋といって、川を渡る為の人と車がかろうじて2台行き違える位の小さな古い橋だが、その橋から奥は急峻な丘陵地になっている。住宅街は”がけくずれ警戒地域”みたいな指定を受けていて、狭い一本道から沢山の民家が階段を登って行きあえるようになっている。

この民家エリアから川を挟んでこちらを眺める景色がとても良いのだが、鬱蒼エリアが取り壊された今味わい深さが半減してしまった。
この、【自然には逆らえませんからね】といった風の覆いかぶさってくるような鬱蒼とした木々や大正時代辺りからかわってないんじゃないかみたいな小さな街灯、澄んだ水を湛える川と調和していたのに。
心なしかふすま屋の看板もさみしそう。夕方になるとこの一角から漂ってくる濃厚な緑の匂いも、きっと少し減ってしまったのだな。

このマンションが建てられたときにも同じ感慨を抱いた周囲の住民がいるのだろうなぁと思うと少し悲しいし申し訳ない気もしてしまった。何かそれって違うかもしれんが。
平屋の跡地に何か建って住民が戻ってきたらいいな。少し前、この家の前にしばらく停まっていた救急車の事が気になっている。
関連記事

Comment

Add your comment

Latest