ぼんやりさんとダックスの暮らしの手帖

Mダックス・ハヤテとの毎日や山登り

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午前11時

気がついたらば11月も中ごろを過ぎ、既に暦で言うところの晩秋に突入している。
今朝、夫さんがうわっ、とかなんとか言った叫び声とともに凄い勢いで布団を跳ね上げ起きた。
どうも、ハヤテが悲鳴を上げた声がしたらしい。すぐハヤテを見に行ったが夢だったといって戻ってきた。すやすや寝ていたらしい。ハヤテは今朝も元気。
2人ともホッとしたと思う。

人生を一日に例えるとといったのがあって、自分の年齢を3で割ると今一日のどこにあたるかがわかる。
今私は33なので午前11時にあたる。もうすぐお昼ごはんだ。
この計算だと80歳で人生を閉じる事になるので、数字を少なくしたりするとまた時間が変わってくる。
今ならば80歳ではまだ足りない部類に入るだろう。

ハヤテに当てはめると既に9歳、人間でいうところの50を超えた所なので、時間で言えば午後5時過ぎ。
昼を食べ終え既に夕飯の事を考えている時間にあたる。
そう考えてしまうと【時間がない】と一瞬焦ってしまうけれども、美味しいご飯を作って楽しい夕食はこれからだし、ご飯を食べ終えてもデザートや夜のお酒、お風呂に映画観賞、星空観賞、夜のコンビニで立ち食いなんて面白い事は夜にいっぱいある。
でもそれは体が思うように動いてこそ。
・・なのだろうなぁ。

体の動かない夜はきっとさみしい静かな空間に違いない。
そう考えると夜一人で居るのはたいへんつまらないし面白くないだろう。
痛かったり風邪をひいていたりすれば尚の事嫌だろう。


本を読む量が減ったからか、ボキャブラリーが貧困だからか、感受性がないからか知らないが高校を卒業してからとみに自分を表現するための言葉遣いが下手になった。それ以前から駄目だったかもしれないが、少なくてもそのころは伝えたい熱意はあった気がする。the青春。
多分それはある程度の年になって適当におべんちゃらのために言葉を使ったりしていたツケっぽい気がする。自分のものであってもなくてもどうでもいいや的な気持ちで発していたものらしい。
普段何気なく使っている日本語は粗末に扱うと扱い方を忘れしまいに言葉自体を取り落してしまうようだ。
例えば思っても居ないのに謝ったり。


前もどこかで書いた気がするのだけど、ロシアの広大な土地では正教会の尖塔が水平線のかなたに必ず見えるように建てるものと聞いた。見渡す限り何もない土地で畑を耕していた農夫は気が狂ってしまい、地平線に向かってひたすら歩き続け死ぬと言った事件が起きたからだとか。
地平線にひとの建造物(とりわけ教会だと効果大)があると人は心の平穏を得るとか得ないとか。
そのことを確か呼ぶ名称があったんだけど忘れてしまったい。

ところで、見たことはないけれども想像してしまった景色で忘れられないものがあって、大きな製鉄工場の屋上に上がる為に建物のわきに付いている排水溝のふたのような網の鉄板でできた階段を上がっていくと下から風が吹き上げてくる景色。
網はあるけど、鳥の景色みたいなそれと、ロシアの教会の尖塔が見える広い大地と、なぜだか今日の気分が一致する。多分今日は強い南風が吹き上げて風の唸り声が聞こえているからかも。
台風や低気圧が近づいてくるときの下から巻き上げる冷たい風も好きなので、私は多分吹き上げる風にキュンとくる性質なのだろう。
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