ぼんやりさんとダックスの暮らしの手帖

Mダックス・ハヤテとの毎日や山登り

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とある百貨店

むかしのお話。

2001年ごろ、私はとある百貨店の地下食料品売り場で働いていた。
今日、そのお店に行き、相変わらずあまり変わらない店舗内を見ながら(エレベーターだけはずっと変わらないでほしいけど♪)うろうろした。

以前の古巣は改装後、まだそのままで、厨房も変わらず同じ位置にあった。
変わったのはショーケースの位置と、私の居た場所に居た人たち。
誰一人知っている人は居なかった。

・・・と思ったら!!

厨房に、一人、いたっ。


板前さんの、Hくん。
どうみても、横顔が当時のままだった。といっても、あのころ彼は19だったはずだから、もう立派なアラサーである。(私もだが)

あまりの衝撃に言葉も無く少し遠くから見つめていた。
既に今は2013年。あれから12年は経過している。
厨房に勤めて溜まるお金をあらかたハイブランドにつぎ込むという若者らしい毎日を送っていた彼は、まだそのままなんだろうか。

でも、どうみても同じような厨房の外からの景色に、完全に同じ格好の、同じ横顔の(あろうことか、ふっくら具合まで変わらない)男の子が居ることに軽い眩暈を覚えた。


入っている店舗が多少変わっても、かわらない百貨店の活気と、独特の地下の匂い。
あの匂いだけで、いつも世界は突然2001年に戻っちゃったりして。
いまがいつだか分からなくなる、
圧倒的な力を持った匂い。

おそらく、通って下さるお得意様も大きな様変わりはしないであろう、あの地下のお店。
(百貨店には、都内はおろか、とんでもない地方から、例えば夕飯のお惣菜の為だけに新幹線に乗って通って下さるとってもハイソなお客様が必ずいらっしゃる)

そして私の大好物の鱧の南蛮漬け。
壬生菜のおひたし、丹波の黒豆、加茂茄子、卯の花。蕪、鰻巻き。

東北の血をひきまくり、関東で育った私が、京都(西地方)の味を初めて知ったのはここで働き始めた頃だったのだなぁ。そして、関西は偉大だ、と思った。
お料理自体に東京の方にはない華やかさがあると思ったんだよねぇ。
色使いにも、何ともいえない繊細さと品のよさがあった。

だから、いまでもあちらの地方のお惣菜を食べさせて貰えていた事はとってもラッキーだったと思っている。



ここで働き始めた動機は
東京に住んでるのだから、東京で1,2に入る有名な百貨店でサービス業をしたいという感じだった気がする。
それも、支店ではよろしくない。本店で。
しかも、洋服とかじゃなくて、食料品がいい。
しかも、お菓子とかじゃなくて、生のもの、しかも、百貨店でのみ扱っているようなお店で。

とか、なんとか思って入ったのだった。
今思えばなーんも考えてなかったんだけど。


ここでの仕事は、だいぶきつかった。
13時間連日立ちっぱなしとか、休憩はトータル15分、とかもよくあった。
百貨店の社員の方たちは超怖かったし、会社の上役はみんな京都弁か関西弁か福岡弁でまくしたててくるし、厨房の人たちは中々仲良くしてくれなかったし、百貨店にいらっしゃるお客様は、本当に怖かった。
何度泣かされたことか。

厨房がついているお店はあまりなかった為か、閉店後最後まで地下で残っているのはいつも私たちのお店だった。
誰も居ない真っ暗なデパ地下で、日報を書いたり、後片付けをしたりしていた。
そしてあがらない売り上げに頭を悩ませたりして。


なんてことを、色々思い出していた。
あの横顔を一瞬見ただけで。


あの当時、年若い男の子の中で残るとしたらH君だと思っていたけど、
本当にその通りになっているということが、うれしいような、さみしいような気がした。
H君はいつも無口で、もくもくと仕事をしている男の子だった。
愛嬌のない、むっつりとした顔で蕪を切ったりしていた。
でも彼には独特の安定感があり、同僚の子達が脱落したりする中、常に一定のペースでもくもく、もくもく仕事をしていた。



つらい年の瀬・お正月を頑張った事とか、
(デパ地下の正月は地獄絵図)
嫌なお客さんの無理難題を助けてもらった事とか、
普段入れない厨房で、大忙しのためお手伝いをしたこととか、ヘマをしてにらまれたこととか、
彼女のことをからかったりしたこととか、
なんかもー、
懐かしさ満載です。

彼は、大変なお正月を何年も繰り返して来たんだなぁ。
あの辛抱強い驚異的な安定感で。
そう考えると、それだけでやっぱり尊敬してしまう。


彼の、他の人はあまり知らないプライベートを知る機会があって
それがゆえに私は彼に【かわいい弟】的な意識も抱いていた気がする。
あーあ、あの彼女と結婚してほしかったのにな。
結局、そうはならなかったことが、今でも残念だと思っている。


____


常に360度に目を持ち、即座の判断能力で仕事をこなすのは、じつに楽しかった。
やっていて、自分には向いていると思ってはいた。

でも、精神的な消耗も激しかったのだった。
何年も続ける事は容易ではないと思ったんだよねぇ。
今はもう、できそうにない。




そんなこんなで、昔のお話。


また遊びに行ったとき、H君が居たら今度こそ声をかけてみようっと。
絶対無反応だろうけど(笑)
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